大阪地方裁判所 昭和24年(ワ)331号 判決
原告 奥田福三
被告 名倉孝一
一、主 文
被告は原告に対し大阪府豊能郡箕面村大字桜百八十一番地の七地上木造瓦葺平家建居宅家屋番号牧落四六番建坪二十一坪一合八勺一棟を明渡すべし。
訴訟費用は被告の負担とする。
本判決は原告において金一万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決と仮執行の宣言を求め、その請求原因として主文第一項記載の家屋は原告先代奥田信治郎の所有であつたが、原告先代は昭和十八年七月二十五日死亡し、原告がその家督相続を為し右家屋の所有権を承継した。原告先代は昭和十七年右家屋を訴外武川某に一箇月の賃料金二十九円八十銭で期間を定めず賃貸していたが、同訴外人は昭和十八年四月頃戦死したので、その妻であつた訴外武川洋子は宝塚ホテルに住込み自活の途を樹てることになつた。そして洋子は家財道具を本件家屋に留め置き土曜から日曜にかけては帰宅していたのであるが、昭和十八年十一月頃原告に無断で被告を留守番として本件家屋に居住せしめた。ところが洋子はその後訴外小藪某と再婚することになり昭和二十二年五月二十九日本件家屋から家財道具を搬出し原告との賃貸借契約を合意解除し夫の居住地である神奈川県に転居した。その際洋子は被告に対しても同時に本件家屋の明渡を要求したが、被告は居住権なきことは認めながらも移転先がないことを理由として暫時明渡の猶予を求めた。洋子の転居の翌六月末被告の妻は同月分家賃を原告方に持参したが、原告はその受領を拒み被告の移転先を捜す期間として六箇月間明渡を猶予すると告げたところ、被告の妻はこれを了承した。その後同年夏頃原告は訴外森誠一弁護士に依頼し被告に対し本件家屋明渡の交渉を為したが被告は同弁護士に対しても必ず明渡を為すべき旨を確約し、又その頃原告の母が被告の妻と会つた際にも同人は附近の神社の社務所を借受け転宅したい旨述べていたので原告は被告が誠意をもつて明渡を為してくれるものと信じていた。然るに被告は今日に至る迄明渡を為さず最近には本件家屋は原告から正式に賃借したものであると主張するに至つたのであるが、原告は被告から一度として賃料を受領したことがなく、又原告の姉政子は本年二十九才となり最近縁談が具体化しているが、同人結婚の暁はその住居として本件家屋は是非共必要である。以上の通り原告は被告に本件家屋を賃貸したことがなく、被告がこれに居住しているのは不法占拠に外ならないから、その明渡を求めるため本訴に及んだと陳述し、
被告の主張に対し昭和二十年三月中旬原告又は原告の母は被告から被告の持家が空いたので転居したいとの相談を受けたことなく、従つて原告の母が被告に引続き本件家屋に居住方を求めたことなく被告は自己の持家が空いたならばこの家にも強制疎開で如何なる人が来るか判らず当時箕面と雖も空襲の危険絶無ではなかつたので持家が空いたのを好機にこれを他に売却し空襲による危険を免れんとしたのであつて、これをもつて本件家屋に居住することについて原告の承諾を得たことの証拠となすのは牽強附会も甚しい。当時原告は大阪市内、神戸市内に居住する多くの親族を有し、これらの者から原告の借家が空いたらば貸与してくれという申込を受けていたのであつて、被告が移転を申出たならばこれを引留める理由は少しも存在しなかつた。又原告の母が被告を引留めたとすればその際被告は家賃の受取証の宛名を武川から被告に変更することを要求すべきであるのに、この名義を書替えずに放置したことは矛盾も甚しい。又被告主張の如き事実があつたとすれば、何故に被告は昭和二十二年五月二十九日洋子が本件家屋の明渡を要求した際この事実を主張せず、甲第一号証の如き書面を作成したのであるか理解し難い。
更に原告がその持家の一戸を売却した事実は存在するが、母の病気療養費捻出のためである。
仮に原告が昭和二十年三月中旬被告に対し本件家屋の使用を承諾したとしてもこれは使用貸借であるから本訴により解除の意思表示を為すと陳述した。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告(答弁書に被告と記載してあるのは原告の誤記と認める)の負担とするとの判決を求め、答弁として本件家屋がもと原告先代奥田信治郎の所有に属し、原告主張の日時、原告が家督相続により右家屋の所有権を承継取得したこと、原告先代がその主張の日時右家屋を訴外武川某に賃貸したが、右訴外人が戦死し、その妻洋子が家財道具を本件家屋に残し、宝塚ホテルに住込んだこと、被告が昭和十八年十一月頃から本件家屋に居住していること、本件家屋の賃料の通帳が終始訴外武川名義であつたことは争はない。
被告が本件家屋に居住するに至つたのは昭和十八年十一月中訴外武川洋子から主人は応召中で無人で困るので一緒に住まないかとの交渉を受けたので家主がこれを了解すればという事で同年十一月下旬被告の妻が洋子と同道して原告方に赴き原告の母に面接し明白に居住の承諾を得て本件家屋に転住し従来被告が居住していた被告所有家屋を同年十二月十六日他に売却したのである。洋子は同年十二月中宝塚ホテルに勤務の為一部の家財を被告に預けて転出したので、十二月以降の賃料は総て被告において支払い原告の母もこれを認め、その後隣組常会その他で同人と被告と面接した際、洋子は事実上居住しておらぬのであるから賃借人名義を被告に書替えてもよいが、洋子はやかましい人であるから一応同人に話をしてからということでその儘になつていたのである。殊に昭和二十年三月中旬被告所有の箕面町大字平尾所在の貸家が空いたので被告は右家屋に転住すべく原告に相談したところ、当時空家及び余裕住宅の所有者に対しては徴用者又は疎開者を強制的に收容させられる情勢にあつたので原告はこれを極度に恐れ、洋子は帰る見込はなし引続き被告に居住して貰いたいと頼むので被告は本件家屋に居住することになり自己の空家を他に売却したのであつて、このときに原、被告間に本件家屋の賃貸借契約が成立したのである。その後昭和二十一年十二月原告から本件家屋の明渡の交渉があつたが立消となり、更に昭和二十二年五月中明渡の請求があり、被告は適当な家があれば明渡してもよいと答えたことがあるが明渡の期間及び条件については何等の約定をなしたことがない。
原告は本件家屋は原告の姉の結婚後の住居として是非共必要であると主張するが、原告はその所有に係る宅地七十余坪を訴外小西勝に売却し昭和二十四年二月二十四日登記手続をしている。右宅地上には本件家屋と同程度の坪数の原告所有家屋があり、訴外南節子が賃借していたが同人が東京に転住後は小西が右家屋に居住している。そしてこの家屋は原告の隣家であるから、南節子が転住し、この家が空いたならばこの家にこそ、原告の姉を居住せしむべきであつて、原告の姉の結婚後の住居として必要だというのは単なる口実に過ぎない。以上の通りの事情であるから原告の本訴請求は失当であると陳述した。<立証省略>
三、理 由
原告先代奥田信治郎が昭和十七年同人所有の本件家屋を訴外武川某に賃貸したところ、同人は昭和十八年四月頃戦死し、原告先代も昭和十八年七月二十五日死亡し、原告がその家督相続を為したこと、賃貸人武川某の妻であつた訴外武川洋子は夫死亡後も単身本件家屋に居住していたが、昭和十八年十一月頃被告を本件家屋に居住せしめたことは当事者間に争がない。
そして証人小藪洋子、奥田政子、名倉かずえの各証言(後記認定に反する部分を除く)を綜合すれば、被告の妻は本件家屋に居住して一、二日後洋子と共に原告方に赴き、原告の母奥田イサに対し洋子の留守旁々本件家屋に居住する旨を告げ原告の母の承諾を得た事実を認め得べく、又証人小藪洋子の証言の一部及び証人名倉かずえの証言、被告本人尋問の結果を綜合すれば、洋子は被告が本件家屋に居住して一箇月を出でずして、家財の一部の保管を被告に托し宝塚ホテルに住込み、本件家屋には一箇月の内数回帰来するのみであつたが、その後東京方面に赴き、本件家屋は専ら被告が使用していたこと、洋子は当初約半年間は荷物保管料として毎月金十円を被告に支払つていたが、本件家屋の賃料は当初から被告が武川名義で原告に支払つていたこと、本件家屋と原告居住家屋とは相隣接し、原告と被告とは同じ隣組で平素親密に交際していたことが認められ、右事実を綜合すれば、当初洋子は被告を留守番として同居せしめたとしてもその後は被告に本件家屋を転貸し、原告は右転貸の事実を知りながら、これに異議を述べず、暗黙の間に承諾したものと認めるのを相当とする。
次ぎに証人小藪洋子、奥田政子の証言を綜合すれば、洋子は昭和二十二年五月再婚し神奈川県で居住することになつたので同月二十九日本件家屋から家財を搬出し且つ原告と本件家屋の賃貸借契約を合意解除したことが認められる。そして建物について適法な転貸借のある場合に賃貸人と賃借人が賃貸借契約の合意解除を為すも、当然には転貸借の終了しないことは勿論であるが、賃貸人が転借人に対し賃貸借が合意解除によつて終了したことを通知したときは、転貸借はその通知の後六箇月を経過するに因り終了するものと解すべきこと借家法第四条の類推解釈によつて明かであつて、原告が右合意解除の翌月である昭和二十二年六月末、被告に対し洋子が本件家屋を原告に返還したので、被告もこれを明渡せられたい旨を告げ賃料の受領を拒絶したこと証人奥田政子、名倉かずえの証言に徴し明かであるから、その際原告は被告に対し洋子との間の賃貸借が合意解除によつて終了したことを通知したものと認むべく、被告の転貸借は尠くとも同年七月一日から六箇月を経過した同年十二月末日をもつて終了したものと解さなければならない。
被告は昭和二十年三月被告所有家屋が空いたので右家屋に移転すべく原告と相談したところ、原告はこれを引留め、本件家屋に引続き居住せられたい旨告げたので、この時から被告は本件家屋を原告から賃借したものであると主張し、証人名倉かずえの証言、被告本人尋問の結果中には右主張に副う部分が存するが、成立に争のない甲第一号証によつて認め得る被告が昭和二十二年五月二十九日洋子に対し適当な家屋あり次第本件家屋を明渡すべき旨の書面を差入れ、又被告が昭和二十二年五月迄武川名義で本件家屋の賃料を原告に支払つていた事実(この事実は当事者間に争がない)に徴すると前記証拠は直ちに採用できない。
然らば被告は原告に対し昭和二十二年十二月末日限り本件家屋を明渡すべき義務があり、これを訴求する原告の本訴請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 岩口守夫)